そうコロコロ変えられるものではない

そうコロコロ変えられるものではないのです。文体*1は。

有名な作家の作品でも読んでみるといいでしょう。あ、この人はこういう語り口なのだ、というものはどこかしらあるはずです。

有名な作家の作品を読む気のないズボラ読者の方は、笹松氏のブログでも読んでみるといい。目立つと思います。

しかし、ぼくが言いたいのは笹松氏のブログがどうのこうのという話ではなくて…。


ご存じの方も多いでしょうが、素性を明かさないことを信条にインターネッツに棲んでいます。

京都の某大学生である。兵庫県出身である。まあそのくらいは知られても問題ないわけですが、

個人を特定されるような情報は安易に出さないように教育されてきたのです。

Facebookみたいに実名が原則のSNSと、Twitterみたいに匿名/HNでOKなSNSとではふるまいが変わってくるわけです。

その差別化を難しくするのが文体なのです。


数行読んだだけで、「もしかしてあいつじゃないのか?」なんて思われたら困るのですよ。実生活で交流のある人が見る前提でTwitterしてないんですからね。

大学に入学してからは「Twitterやってる?」に対して「俺ツイ廃だから~」で逃げまくっています*2


解決策ですか?FacebookをやめるかTwitterをやめるかでしょうね。

やめるなら圧倒的にFacebookでしょうね。


というようなことを言っていたらえくすさんからこんな指摘がありました。

そういうことだと思う。

*1:この場合は修辞と言うべきかもしれません

*2:実際、数人にはフォローされたものの、1週間もたたずに去っていかれました